台湾民主国黄虎旗

台湾民主国黄虎旗

国家宝蔵

国宝紹介

「台湾民主国黄虎旗」は、国立台湾博物館が所蔵する「三つ鎮館の宝」と呼ばれる作品の一つである。民国105年(2016)に国宝として指定されたが、現存の旗はオリジナルではなく、日本人画家の高橋雲亭氏が日本統治時代に模写したバージョンである。では、本来の旗はどこにあるのだろうか?なぜ、台湾博物館が所蔵している黄虎旗は模写なのだろうか?

明治28年(1895)に清朝は日本と馬関条約を締結し、台湾と澎湖が日本に割譲され、日本初の植民地となった。台湾の官員と民間人は驚いた。当時最高長官であった唐景崧巡撫は、何度も清朝に上書したが、朝廷からは消極的な反応しか得られなかった。そのため唐景崧は、日本の統治に抵抗するために、当時三国干渉を経てロシア・ドイツ・フランスによる反対により、日本が遼東半島を返還した例をならおうとした。外国勢力を導入し、日本が台湾を放棄することができるかどうかを考えた。同5月15日、丘逢甲・唐景崧および台湾の名士達が密談した後に、「台民布告」を発表し、「自主」の意思を表明し、各国に介入を呼びかけた。そして、5月25日に「台湾民主国」が成立された。唐景崧は大総統となり、官印を作り、藍地の黄虎旗3つを作った。そしてそれぞれの旗を、基隆の砲台・巡撫の官庁、淡水の税関に揚げたかったが、淡水の関税税務司モース(Hosea Ballou Morse)氏は、海関の前に旗を掲げることを拒否した。

だが日本の強力な攻撃を受け、唐景崧は急いで逃げ出し、台湾民主国という儚い国はわずか13日間しか維持されず崩壊した。同年6月15日に、日本の台湾統治が始まった。では、それ以前に掲げられた3つの旗の行方はどうなったのであろうか?モース氏の回顧録によると、淡水の税関前にかけることを拒否された旗は、同氏が台湾から持ち帰り、現在は行方不明となっている。官庁に掲げられたものも消えた。最後に基隆砲台に掲げたものは日本軍に押収され、樺山資紀総督が日本の皇室に献上し、皇居の振天府に置かれた。長い年月を経て、その旗がまだ同じ場所に保存されているかどうかは不明である。

明治42年(1909)台湾総督府博物館において、日清戦争による戦利品の展示が行われた。台湾総督府陸軍部参謀長であった宮本照明が指令により展示品を受領した際、振天府に収蔵されていた黄虎旗を発見した。総督府は勅許を得て黄虎旗の模写を作るために、高橋雲亭氏を招聘した。黄虎旗の模写は、本来の旗と変わらないと見られた。現在、台湾博物館に所蔵されている黄虎旗はすなわち、高橋雲亭氏による模写バージョンである。それは、元来の旗の姿と最も近いものとなり、台湾の歴史における最も重要な文化資産となっている。

文献によると、黄虎旗のサイズは横1丈1尺、縦8尺、換算すると幅360cm、長さ242cmとなり、非常に大きいサイズだと考えられている。現在台湾博物館で所蔵されているものと、ほぼ同じ大きさである。また、文献に描かれたおり、旗の絵の中で最も目を引き付けるのは、黄虎の長いしっぽだと思われる。当時招待され、展覧会の式に参加したアメリカ人のリポーター、ジェームス・ウィーラー・デビッドソン氏(James Wheeler Davidson)はその旗を、 「青色の生地が背景となり、黄色の縁取りとなっている。中央に一匹の、腹を空かした大きい虎が描かれている。その虎の長いしっぽは、本物の動物より長いと思う。」と述べた。モース氏も黄虎について、「その攻撃的なしっぽを、空中で揺らしている」と述べた。台湾民主国の成立は、当時の唐景崧にとってはやむを得ない方法であり、最後の手段でもあった。真の国を立ち上げる意図はなかったため、公式の印章や旗の面を使用し、清朝の朝廷の規制を上回った行為をしようとはしなかった。その色はあえて、満洲の八旗では最も地位が低い漢人の軍隊による青色が選ばれ、旗の動物は竜よりも地位が低い虎とされ、旗の形も四角形の将軍旗と類似したものに決められた。

国宝鑑賞

章節封面圖片

黃虎旗の正面—夜間の虎

   本件の黄虎旗は、国立台湾博物館が所蔵しており、幅330㎝・長さ264㎝である。日本の皇居内の振天府において戦利品として所蔵している、オリジナルの黄虎旗に基づき、高橋雲亭氏により模写されたものである。
   『台湾日日新報』の「振天府訪問」に関する記事によると、台湾民主国旗の旗面には「青い生地に黄い虎」と記載されているが、戦争や色あせなどの外部要因により、布はすでに茶色に劣化した。それを忠実に表現するため、高橋氏が元旗に従って模写したものは茶色となった。しかしながら、黄虎の姿ははっきりと見てとれる。

   黄虎旗は一重の平織り綿布でできており、右下に大きな欠落部分がある。右上の隅は、底が青色の別の材料で作られ、右下の欠落は元の旗の状態と考えられる。明治42年(1909)『台湾日日新報』に掲載された写真を見ると、明治28年(1895)6月に基隆砲台に掲げられた時期には、すでに破損していたことが分かった。


画像ソース:「樺山總督筆進達書寫 虎模樣旗(竪八尺橫一丈一尺)」『台湾日日新報』第3475号第5版・明治42年11月27日。


   旗の表には、頭を上げて大またで堂々と歩く黒シマの黄色の虎が描かれている。その目は丸く明るく、長いしっぽは左後方に向かって少し上に曲がっている。体勢はやや半円弧の形で凹み、虎の首から尾への輪郭は太い墨線で描かれている。背中の虎縞は直線に近い縦線であり、その中に太い線と細い線を一定の間隔で組み合わせて表現している。腹部は比較的に曲がった線であり、同じく一太一細で描かれ、腹部の毛は墨色の短い線で描かれている。
   左前肢は下足を大またで踏み出し、太い墨の線で足の輪郭を表現し、足と体がつながれた部分は渦巻き紋で描かれている。右前肢は90度に曲がり、大股で前進し、威風堂々とした姿である。
   虎の瞳は丸く輝き、鼻は鈴の形のようでなり、赤色を使って描いている。虎の額には墨色で「王」の字が書かれ、耳は三日月の形になっている。中心に描かれた黄色の虎の上には、赤い火紋が描かれている。それは天下の民衆をリードし、天命に帰服することの象徴である。左下には黄色の雲紋が描かれている。それは、吉祥と如意・瑞気が溢れることを象徴している。虎が外敵に抵抗し、自らが平安を保ち、そして雲と炎が人の心を奮い立たせ、勇敢に敵に抵抗するという意味である。

黄虎旗の背面―昼間の虎

   一般に知られている黄虎旗は、黄虎の瞳は夜間に丸い瞳の形となっている。しかし民国93年(2004)に、台湾博物館が国立文化財保存研究センター準備処に依頼し、画像の分析が行われた。本件の後ろから脱落した一角から、わずかに隠れた顔料層が発見された。民国99年(2010)に始まった修復作業から、1年半の時間をかけ、幾重にも重なっていた厚い補修紙と背面に張り付けられた紙が取り除かれた。そして民国101年(2012)にようやく、旗の裏に、もう1匹の黄虎がいることが確認された。
   2匹の虎の位置はぴったりと合わさっているが、背面の虎の瞳は正面と異なり、日中での光線の故に、その瞳は三日月の形となっている。旗には、ネコ科動物が昼と夜で瞳が異なる様子が、リアルに描かれている。その中には、陰陽の2元一体の世界が反映され、虎が昼も夜も台湾を守るという深い意味が込められている。

台湾民主国藍地黄虎旗に描かれている、昼間と夜間の虎。

黄虎のリメイク

林玉山氏による模写の黄虎旗

   国立台湾博物館に入館し黄虎旗を観賞すれば自然と、印象の中に残る藍地黄虎旗とは様子が異なることを感じる。一般的な印象は、フルカラーの藍地の黄虎であるべきであり、歴史的な痕跡を残す、まだらで色あせた旗ではない。
   実は、色鮮やかな藍地の黄虎旗は、画家の林玉山氏が民国42年(1953)に丘逢甲の子である丘念台氏の招待を受け、「台湾民主国」59周年を記念とし、高橋雲亭バージョンによる台湾民主国藍地黄虎旗を再模写し、原図に欠けていた虎尾部分を補完したものである。虎の画像が完全な姿で生き生きと見えるため、最も広く伝えられている黄虎旗バージョンとなっている。
   林玉山氏は合計2枚を模写した。そのうちの1枚は元の旗と同じサイズであり、もう1枚は縮小バージョンであり、いずれも国立台湾博物館に所蔵されている。本件は、オリジナルと同じサイズのものである。

林玉山氏による模写の黄虎旗(縮小バージョン)

   本件も民国42年(1953)に、林玉山氏が模写した黄虎旗であるが、サイズは元々の旗よりはるかに小さく、幅96㎝、長さ84㎝の縮小バージョンである。本件も国立台湾博物館に所蔵している。
旗の正面に題字がある。


省立博物館で保存するための献上。
日清戦争における暴虐防止・領土保全のために成立された台湾民主国、その国旗の模写である。
中華民国42年5月
嘉義林玉山 模写
台北の李建興  と  台南の林叔桓 寄付
台北林錫昌 染め上げ
台中丘念台 寄贈

デジタル復元された黄虎旗の正面―夜間の虎

   民国105年(2016)に、黄虎旗は台湾の国宝として指定された。台湾博物館はそのために、明治28年(1895)「台湾民主国」黄虎旗のシミュレーション作業を行い、特別に「デジタル復元版」を制作した。旗の藍色の彩度から、旗上の黄虎のイメージまで、すべてのバージョンと比較して考証を得た作業を経て、誕生した時のオリジナル黄虎旗に最も近いバージョンが作られた。この図は、デジタル復元版の夜間の虎である。

デジタル復元された黄虎旗の背面―昼間の虎

この図は、デジタル復元版の昼間の虎である。

参考資料

    1. 「新聞記者拝観振天府/天恩洪大/聖旨優渥/振天府の由来/台湾の民主国旗/侍武官長官の説明/台湾の連隊軍旗」『台湾日日新報』第2689号、第5版、明治40年4月23日。
    2. 「台湾民主国国旗(振天府御物を模したる)」、『台湾日日新報』第3475号、第5版、明治42年11月27日。
    3. 陳婉平「追随と探求―黄虎旗の適切な修理案の選択」『台湾博物季刊』第116号、頁6―19、2012。
    4. Frances Lennard、Nancy Pollak、林春美、陳婉平〈藍地黄虎旗?旗の真実性とアイデンティティ』、『台湾博物季刊』第116号、20-33ページ、2012。
    5. 蔡思薇、「台湾民主国の旗―国旗一面の上の物語」『台湾博物季刊』第116号、40-43ページ,2012。
    6. 蔡承豪、「建国抗日だけど、すぐに滅びた台湾民主国」、『所蔵古美術』第245期、12-14ページ、2013。
    7. 藍埼玉、「2匹の虎、昼と夜で台湾を守る!台湾民主国「黄虎旗」の背後にある秘密を発見」『所蔵古美術』第245期、145-147ページ,2013。
    8. 趙昱婷,「黄虎旗修復―背景色の確定から延びる議題」、『文化研究双月報』第142期、46―57ページ,2014。
    9. 許佩賢、「乙未歴史道具 藍地黄虎旗の前世今生」、『台湾学通信』87、15ページ,2015。
    10. 李淑恵、李子寧、呉佰禄執行編集、『黄虎旗の物語:台湾民主国文物図録』、台南県:国立台湾歴史博物館準備処、2002。
    11. 李麗芳、鄭明水など編集、『鄭成功画像台湾民主国旗修復科学検査報告書』、台北市:国立台湾博物館、2007。
    12. 許佩賢、『台湾民主国旗歴史調査研究報告』、台北市:国立台湾博物館、2007。

所蔵機関

国立台湾博物館(以下台博館と称する)は、台湾で最も悠久の歴史を有する博物館である。その前身は、明治41年(1908)に設立された台湾総督府民政部殖産局付属博物館(台湾総督府博物館と略称)であり、展示されている文物を大別すると、歴史・人類・南支南洋・動植物・地質鉱物などが含まれ、戦前はすでに約1万点以上の陳列品に達していた。戦後は、台湾省博物館と改称された。民国88年(1999)行政組織再編により、虚省化が実施され、当博物館は文化建設委員会(現文化部)に移管された。そのために、同館は国立台湾博物館へと改称された。

台博館は、日本統治時代の台湾総督府博物館を受け継ぎ、現在の所蔵品は12万点を超えている。その中には、台湾の歴史資料・先住民の文化財・動植物標本・地質学標本が含まれている。まさしく、台湾史への認識を深めるための、展示品のショーケースの一つと言える。当館の所蔵品のデジタル化作業はすでに完了しており、現在は「国立台湾博物館デジタルアーカイブ情報システム」により、展示物を検索・閲覧することが可能となっている。 館前路に位置する本館では、台湾の豊富な歴史・人文科学・動植物などの収蔵品を展示する他、旧土地銀行における古生物館では常に展覧会が行われている。そして南門館では、昔の台湾樟脳産業の栄光時代に関する所蔵品が展示されている。鉄道部パークでは、台湾鉄道史に関する展示が行われており、台湾が現代化に向けて発展した軌跡を認識することができる。

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