鄭成功画像

鄭成功画像

国家宝蔵

国宝紹介

現在国立台湾博物館が所蔵する「鄭成功画像」は、民国99年(2010)に国宝として指定された。鄭成功が台南にいた際、同氏の指示により描かれたものと見られている。同氏の孫である鄭克塽が清に降伏した際、同族の鄭長は、画像を故郷の泉州に持ち帰るよう頼んだが、結局は、鄭長は故郷に帰らず、むしろ滬尾(現在の淡水)から後山坡(現在の台北南港)に転居した。画像も長年に、同氏の家に保存された。

明治31年(1898)、台北県知事の村上義雄氏は後山坡を巡察した。地元の望族鄭家の5代目鄭維隆氏は、村上知事の訪問に対し、「鄭成功画像」を見せた。村上氏は大いに感服し、称賛した。画像のスタイルは端正で厳格であり、鄭成功が獻身的に力を尽くす姿が、十分に表現されている。鄭維隆氏はこの画像を村上知事に贈呈し、村上氏も鄭氏に賞を与えた。その後、村上知事は画像を撮影して友人に写真を送り、『台湾慣習記事』第2巻第1号の口絵として掲載されたことが、広く知られるようになった。

台湾博物館では「鄭成功画像」の上に、他の一枚「鄭成功画像」の写真も所蔵されている。その写真の中に写っている鄭成功画像は、容姿・服飾・椅子にかぶされた獣の皮も繊細に描かれ、完璧な姿が残っている。国宝の原作のように、年月の経過と共に朽はて、破損だらけの様子とは異なっている。その他にも、台南市立博物館に、国宝の「鄭成功画像」と同じ姿の肖像画1枚が所蔵されている。

実は国宝の「鄭成功画像」は、村上知事により日本に持ち帰られた。だがその数年後、鄭維隆氏の親族は、同画像が村上氏により自発的に贈与されたのではなく、欺瞞によって奪われたことを主張し、絵画の返還を求めた。村上氏は原作を台北に持ち帰り、佐久間左馬太総督に渡した。佐久間総督は原作を見た後、台湾神社の宮司山口透氏に意見を聞いた。最終的に、「鄭成功画像」のような貴重な文化財は、民間では良好に保存されることが難しいと判断され、台湾神社に置かれ「国宝」として保管すべきだと考えられた。鄭氏の親族は、その理由に同意せざるを得なかった。

明治43年(1910)に、模写が得意な日本人画家、那須豊慶氏が台湾に旅行に来た。那須氏は、台南御遺跡所の主典であった鈴村譲から、ある情報を聞いた。それは鈴村氏が泉州鄭成功廟を訪れた際に、鄭成功の画像を見たことがあるのだが、総督の官邸に保存されている画像と比べても、負けないほどに優れており、まさに双絶(2作とも絶品)と称しても過言ではないということである。そのために、那須豊慶氏が泉州を訪れた途中、同画像を模写した。那須氏は以前、台湾神社に「酒麿」の絵を奉納したことがあるため、今回は開山神社(現在の延平郡王祠)に奉納する希望を持っていた。それ故、台湾北部に着いた時に直接総督官邸を訪れ、その願いを訴え、総督官邸に所蔵されている原作を鑑賞することを求めた。佐久間総督はその熱意に深く感動し、那須氏に肖像画を2枚模写することを命じた。その中の1枚は開山神社に、総督の台湾在任の記念として奉納され、もう1枚は総督官邸に保存された。

そして明治44年(1911)7月15日、「鄭成功画像」の原作が台湾神社に奉納され、佐久間氏の命令により、那須氏が模写した「鄭成功画像」が鄭氏の家に記念として寄贈されました。現在は失われ、台湾博物館所蔵の写真しか残っていない。

国宝鑑賞

章節封面圖片

国宝「鄭成功画像」原作

   台湾博物館所蔵の国宝「鄭成功画像」では、鄭氏が画面中央に真正面に座り、顔の輪郭が細かく描かれている。顔に耳・口・鼻・目・眉・3ヵ所の短いひげが描かれ、全体の容貌は穏やかであり、上品に感じられる。歴史物語の筋にある「文人から軍人へと身を投じ、従軍した儒将」のように、鄭氏の「威厳があっても勇ましいところはなく、うやうやしく安らかな人物」というイメージを作り出し、虎豹などの動物獣の皮のシートに襟を正して座っている。

   さらに絵をよく見ると、鄭氏はドーム状の黒い冠帽をかぶり、冠の頂部には円形の赤い玉が飾られている。帽子の縁側には、金色の線と、金色の波状の飾りものがほどこされ、帽子の中央には円形の玉のビーズがはめ込まれている。襟巻きのガウンをまとい、その色は緑色に見える。ガウンの胸の前と裾には、「竜」の正面や竜の爪の刺繡と、雲の紋様のような装飾がある。袖の中には青色の生地が見え、それは中衣(ガウンの内側の服)のようである。腰に玉帯を結び、7つの大きさが異なる玉片をはめ込み、左手に玉帯を持ち、膝の上に右手をそえている。両手に長い甲を蓄え、両足は上部が黒色、下部が茶色の底の長靴を履き、両足を自然にマットの上に踏み入れている。

「鄭成功画像」那須豊慶氏の模写1

   本件の〈鄭成功画像〉は、那須豊慶氏により模写され、台南市立博物館に所蔵されているものである。画面の左側における座席脇に落款(署名)があり、縦に<「明治辛亥秋日敬写豊慶之」と書かれている。落款の下には四角形枠の印鑑があり、印文の内容は、篆書体で書かれた「源朝臣」である。本件が完成したのは1911年であり、当時台湾に滞在していた日本人画家那須豊慶氏による模写ということがわかる。
   原作と同じく墨の線を使用し、人物の体形の輪郭・服飾の折り目・五官・手などの部分を描いている。まとっているガウンの紋様は青緑色で染められている。その上の竜紋・雲紋は、泥金や金箔などから取られた金で描かれたものと見られる。裾には何故か、墨色で歪曲されている線2本が描かれている。科学機器による測定結果により、その線は原画ではなく、後世の人による書き加えによるものと推定された。
   画像提供協力:

「鄭成功画像」鄭維隆氏の家族に寄贈された模写2の写真

   本件は那須豊慶氏により模写された、「鄭成功画像」の第2点の写真だと見られる。「画像」自体が、鄭維隆氏の家族に寄贈されたものである(以下「鄭家に所蔵された模写」と呼ぶ)。ところが現在は所在不明となり、写真のみが残され、国立台湾博物館に所蔵されている。
   本件はほかの2点(原作と模写の1)とは異なり、衣裳とガウンの全体に、刺繡された飾りまでが細かく描かれている。両肩にそれぞれ、4本の爪の竜が雲海の中にちりばめられている。ガウンの胸の前に、竜の首が飾られ、口が開いて歯が出ており、顎の下に鬚がある様子が描かれている。ガウンの2つの袖にも、それぞれ1本ずつの竜がいる。描かれた飛竜は雲に乗り、威風堂々としている。衣裳の裾には双竜が頭を上げ、竜の目は前にある1枚の玉石を見つめている。竜の爪がタイミングを待って玉を奪おうとする様子が描かれている。ガウンの下部分の端には、大波の模様が飾られている。
   座席にまとった獣皮も細かく描かれ、虎のひげ・目・鼻・口がリアルに表現されている。毛皮の根がはっきり見え、幾重にも描かれた2色の虎縞模様が鮮明である。

各バージョンの照合

国宝の原作と那須豊慶氏による模写との照合

   那須豊慶氏は、原作の隅から隅までを丁寧に観察し、優れた模写技術の腕前を発揮した上、「鄭成功画像」の原形を忠実に保存した。当時の破損や脆い箇所も忠実に表現され、今後の原作修復の根拠となるものである。

国宝の原作と鄭家に所蔵された画像との照合

   那須氏が模写した「鄭成功画像」の2枚目は、総督府から鄭維隆氏の家族に寄贈されたもの(以下「鄭家に所蔵された模写」と呼ばれるもの)である。
   鄭成功のガウンにはっきり描かれた、竜と雲模様の飾り・椅子にかぶされた虎縞模様の獣皮を除き、他の2点と異なる箇所もいくつか存在する。例えば、膝にそえられた右手を比べると、鄭家に所蔵された模写には、袖の口から出ている部分が少なく、小指もはっきりせず、手の長い爪が原作のようには明確に見ることができない。
   鄭家に所蔵された模写は原作と異なっている。その一方で、那須豊慶氏による模写とも異なっている。鄭家に所蔵された模写は、原作と那須豊慶氏の模写のガウンの左下側に描かれた爪4本を前に出す竜と比べると、爪3本が下向きの姿で描かれている。
   以下に掲載された、原作と那須豊慶氏による模写の照合・原作と鄭家に所蔵された模写の照合、これら2点の合成イメージから、細かい部分をよく観察してみたい。

「鄭成功画像」原作と那須豊慶氏による模写の照合

「鄭成功画像」原作と鄭家に所蔵された画像の照合

鄭成功の大変身

   鄭成功はもう(国宝の画像に描かれたように)襟を正して正座することがなくなっている。時には頬が真っ赤になり、左手に麦の穂を抱えながら、右手にビールを持つ姿に描かれている。なお、時には「LOVE」のジェスチャーを示し、まるで21世紀を生きているおしゃれな若者のように描かれた。あるいは、トウモロコシを右手に、ポップコーンバケットを左手に持つ様子になっている。
   これらは、台南市政府文化局が所蔵している、那須豊慶氏により模写された「鄭成功画像」を用いて作られた。異業種連携(コラボレーション)を通じ、元来は整然でまじめな鄭成功画像を、現代の若者の好みに近い形により合成し、堅苦しい歴史的な文物を生活に取り入れるために作られた記念品である。
   それらの商品は、かつて台南市の古跡で限定販売された。鄭成功に関連する古跡が、メディアによるクローズアップを高めることを目指した結果、人々の目を引きつけ、話題として熱烈な反響を得ることに成功した。

画像提供協力:

参考資料

    1. 「豐慶畵伯と鄭氏畵像」『台湾日日新報』第3807号、第7版、明治43年12月25日。
    2. 「朱成功肖像(那須豊慶筆)」、『台湾日日新報』第4000号、第7版、明治43年7月13日。
    3. 「名畵神神寳となる 鄭成功延平郡王の肖像畵 献納者は土人」『台湾日日新報』第4003号、第7版、明治44年7月16日。
    4. 山中樵、「台北博物館見物」『台湾時報』12月号、120-121ページ、1930。
    5. 廖瑾媛(PI)担当、国立台北芸術大学伝統芸術研究センター執行、プロジェクト『鄭成功画像歴史調査研究報告』、台北市:国立台湾博物館、2007。
    6. 洪順興・劉芳如作、王耀庭・劉芳如(PI)担当、プロジェクト『鄭成功画像修復報告』、台北市:国立台湾博物館、2010。
    7. 盧泰康、『文化資産中の古物研究と鑑定:台南至宝大掲密』、台北市:五南図書出版株式会社、2017。

所蔵機関

国立台湾博物館(以下台博館と称する)は、台湾で最も悠久の歴史を有する博物館である。その前身は、明治41年(1908)に設立された台湾総督府民政部殖産局付属博物館(台湾総督府博物館と略称)であり、展示されている文物を大別すると、歴史・人類・南支南洋・動植物・地質鉱物などが含まれ、戦前はすでに約1万点以上の陳列品に達していた。戦後は、台湾省博物館と改称された。民国88年(1999)行政組織再編により、虚省化が実施され、当博物館は文化建設委員会(現文化部)に移管された。そのために、同館は国立台湾博物館へと改称された。

台博館は、日本統治時代の台湾総督府博物館を受け継ぎ、現在の所蔵品は12万点を超えている。その中には、台湾の歴史資料・先住民の文化財・動植物標本・地質学標本が含まれている。まさしく、台湾史への認識を深めるための、展示品のショーケースの一つと言える。当館の所蔵品のデジタル化作業はすでに完了しており、現在は「国立台湾博物館デジタルアーカイブ情報システム」により、展示物を検索・閲覧することが可能となっている。

館前路に位置する本館では、台湾の豊富な歴史・人文科学・動植物などの収蔵品を展示する他、旧土地銀行における古生物館では常に展覧会が行われている。そして南門館では、昔の台湾樟脳産業の栄光時代に関する所蔵品が展示されている。鉄道部パークでは、台湾鉄道史に関する展示が行われており、台湾が現代化に向けて発展した軌跡を認識することができる。

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