万壑松風図

万壑松風図

国家宝蔵

国宝紹介

「万壑松風図」は、北宋の画家李唐が描いた絹本の軸である。

李唐は北宋末期に生まれ、北宋の徽宗、南宋の高宗の画院(画家を集めた機関)を歴任した。山水画に優れ、早年の画風は険しい筆致を以て、雄大で壮麗な北方山河を描いた。晩年は絵画上の複雑な線は簡略化され、筆の技術は洗練された。構図は精巧に作られ、南宋の新しい画風を切り開いた。

この作品は范寛の〈谿山行旅図〉、郭熙の〈早春図〉とともに、北宋の「巨碑式山水画」の作品である。前の2作と比べ、〈万壑松風図〉は広大で壮観な景観から抜け出ている。作品のテーマは深い渓谷へと転向し、人物や建物を描かずに、幽谷の雰囲気を際立たせている。

この絵画は、北宋の大観山水画を南宋の近景山水画とつなぎ合わせ、両宋の画風の美点が凝縮された、山水画の傑作とされる。現在国立故宮博物院に所蔵されており、「鎮院の宝」の1つとされている。さらに2012年には、「国宝」として指定された。

国宝鑑賞

   「万壑松風図」は、北宋中軸式の構図形式を継続している。ただ、その前の作品と異なるのは、李唐が主峰を意図的に縮小し、近景の松と岩を拡大し、繊細な空間の深みを現している点である。
   山の中腹にある雲は、谷の後方からゆっくりと上昇し、前後の山々が階層状に隔てられた感を作りあげている。さらに、画面を細密な部分と空白の部分に交互に隔てる効果がある。石緑色・墨色で描かれた松葉が谷間に揺れているように、墨の線で描かれた川は、さらさらと流れ落ち、岩と無数の水しぶきを激しく揺れ動かす。
   風の動き、雲の立ち上げ、水の流れなどの、各自が異なった動態的な視覚の構図が、「万壑松風図」をより生き生きとさせている。

   主峰が画幅の中央にあり、左右それぞれに、不揃いな雲に隠れた山々が位置している。山体は、斜め向きの岩塊で構成され、「斧劈皴」の手法により山石の線を描いている。さらに、濃淡が異なった青緑色でぼかし、岩塊の険しさを形作っている。
   李唐は空白を残す手法を以て、山の中腹にある濃密な松林の上に、遠方へと続いていく雲と霧を描いた。そして、前方の近景を開げ、主峰の険しい圧迫感を緩やかにした。

   李唐は遠くの峰に署名を埋め込み、「皇宋宣和甲辰春河陽李唐筆」と署名した。河陽出身の李唐は、宋徽宗宣和の時代である1124年に活動していた画家だった。李唐は当時76歳と高齢でありながら、その筆遣いは依然として力強く、迫力溢れる作品を生み出していた。
   その3年後に北宋は滅亡し、南宋は江南へと移転し、李唐も南へと移住した。李唐の画風は筆使いが蒼勁であり、簡潔でダイナミックであり、南宋の山水画の画風に深く影響を与えた。
   山や崖の険しさを、迫力ある「斧劈皴」で表している。李唐は、毛筆のサイドフォワードを用いることで、濃い墨により素早く描いた。筆を下ろす箇所は、斧で石を切り裂いたような効果がある。後世の人々はこの技法を、「斧劈皴」と呼んでいる。
   両側の山腹には、サラサラと流れる泉の滝があり、降下した地形に沿い、湧き乱れる水の流れを形成している。
   李唐は生き生きとした筆使いで、サラサラと流れる水の音が聞こえるように形作り、松林は風に吹かれてカサカサと音を立てている。

   山中の幽谷の間には、岩塊に生える松林に光の影が映え、松葉の針がうっそうと茂る。万物と光が織り交ざり、生き生きとした活気を醸し出している。
   李唐は、まず墨線で木の幹の輪郭を描いた。褐色のタルク(鉱石の一種)を使用し、半円形の木の結び目と樹皮のテクスチャを持ち合わせ、松の立体感を正確に表現した。厚く見える松葉の針の部分は、ペン先に石緑顔料を多くにじませ、松葉の針の太さと長さを、一筆ごとに実物のように描いた。

印章の認識

参考資料

    1. 倪再沁、「神画の形塑―故宮三宝について論じる」『典蔵古美術』第174期:(2007年)、ページ80-85。
    2. 余輝、「李唐と後李唐時代の山水画―南渡画家とその子孫たちの芸術作為」『故宮学術季刊』第30期第4巻(2013年)、ページ43-103。
    3. 李珮詩、〈印鑑の中の栄光&手がかり—『石渠宝笈』の三次編目と钤印などに関する記事〉、『典蔵古美術』第208期(2010年)、ページ84-93。
    4. 陳韻如、何炎泉執行編集、林柏亭監修、『大観:北宋書画特別展図録』、台北:国立故宮博物院、2006。
    5. 林柏亭編集、『国宝菁華:書画・図書文献編』台北:国立故宮博物院、2006。
    6. 蔡玫芬編集、『精彩100:国宝総動員』、台北:国立故宮博物院、2011。
    7. 劉芳如、浦莉安、陳韻如編、『鎮院国宝:范寛・郭熙・李唐』、台北:国立故宮博物院、2021。

所蔵機関

1925年10月10日に故宮博物院が設立された。中国清朝の皇室に収蔵されていた書画文物は数万点を数え、北京の紫禁城見学も一般開放された。1937年に日中戦争が始まり、故宮博物院の文物は南方に移転され、1945年戦後になりもとに戻った。1948年国共内戦のため、故宮博物院の所蔵品は台湾に移転され、台中霧峰北溝に一時的に保管された。その後台北外双渓に新館が建設され、1965年8月に完成し、11月に正式に外部に向けて開放された。そして2015年12月に、嘉義太保にある南院が正式に開館した。

故宮博物院のコレクションは、宋・元・明・清王朝の宮廷コレクションが元となっており、その後中央博物院準備処の運台文化財に統合された。収集・購入された文化財は約数十万点となり、続々とデジタル化された。それらのファイルは「故宮所蔵資料検索システム」に保管された。その中の一部の文化財のデジタルファイルは、すでに「オープンデータ(Open Data)」サイトに保存され、CC(クリエイティブ・コモンズ) に関し、適正な再利用の促進のために公共に向けて提供しています。

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