合境平安

合境平安

国家宝蔵

国宝紹介

葉王による交趾焼人形「合境平安」という作品は、縁起が良いとされる交趾焼き人形の一対に属する。咸豊10年(1860)台南の学甲慈済宮が改築された際、葉王が制作した200点以上の交趾焼作品が、廟の屋根・外壁などに装飾された。

葉王(1826-1887)は、清朝の道光年間に台湾の嘉義で生まれ、交趾焼の人形を作る際の最も独特なこだわりは、人形にはそれぞれ独自の個性を出したこと。表情が豊かな顔は、それぞれ大きく異なること。主役の人物はすべて端正に作られているが、脇役の人物は大半が自由に想像でき、無限の創造的な発想が映し出される。技術的な一面からいえば、葉王が作った泥像は、人物の形状自体は大きくなく、胎質が薄く軽量であること。そして釉薬の色は鮮やかな発色が良質な赤であり、非常に明く見えること。その他にも、エメラルドグリーンと茶色が加わり、赤とのコントラストが強い。葉王のこの技法は、台湾の交趾焼き人形の塑像の段階で使われ、基本的な造形と特色が打ち立てられた。

同氏は当時、台湾史料編纂の一員としての尾崎秀真氏により、台湾で300年来唯一の、製陶の巨匠と称賛されたことがある。葉王の作品を代表する塑像一対は、同氏が創作した交趾焼の独特な芸術上の風格と、卓越した工芸技術を具体的に示すため、2015年に国宝として指定された。

国宝鑑賞

   一対の交趾焼人形はもともと、三川殿の屋根に置かれ、左右両側の降り棟の端に飾られ、屋根を押さえるために付けられた塑像である。本来置かれた方向は保生大帝に向かい、1人は太い型で背が低く、1人はやせ型で背が高く作られた。2人はともに、金色のウワバミの模様が刺繍された清朝の官服を着用しており、腰環をつけ、頭に華麗な官帽をかぶっている。2人は「立鏡」「宝瓶」「鞍」などの道具を手に持っている。その語呂合わせを以て、「合境平安」と呼ばれている。
   「合境平安」は、民衆の願いが神に伝わるように、そして生活している土地の「全域平安」の守護を望むという考えが含まれている。

「合境」(全域)と呼ばれる人形は、金色のウワバミの模様が刺繍され、清朝の官服を着ている。
腰環をつけて、頭に華麗な官帽をかぶっている。
その右手には、立ち鏡が盛られた皿が置かれ、手を高く上げている。「合境」を象徴している鏡台は、精巧に作られたものである。
陶製の人形は、丸顔で耳が肥え、笑顔を浮かべている。目つき・口元・しわ・鼻窩・眉毛などの五官は、本物の人間の表情のように、繊細な変化に富んでいる。
衣飾釉の色は細かく、「臙脂紅」、そして琥珀のような「古黄」釉が使用され、葉王による作品の、独特な風貌を表現している。
「平安」と呼ばれる交趾焼の人形は、派手な官帽をかぶり顔が細長い。両手には宝瓶と、鞍を盛った皿を高く挙げ、その語呂合わせを以て「平安」を象徴する。
陶製の人形は、雲や波などの穏やかな柄が施された官服を着ている。その袖を見ると、高く掲げた両手に合わせ、微かに揺れている感じが生き生きと見える。葉王の優れた土練り、形成、陶焼き技術の腕の高さが感じられる。

参考資料

    1. 尾崎秀真、「清朝時代の台湾文化」、栗山俊一編、『続台湾文化史説』、出版地不詳:台湾文化三百年記念、p.93-114、昭和6年3月31日。
    2. 簡栄聡・鄭昭儀、『彩塑風華―台湾交趾陶芸術特集』、南投市:台湾省文献委員会、2001。
    3. 鄭雯仙、『葉王〈八仙過海〉』、台南:台南市政府、2014。

所蔵機関

学甲慈済宮は保生大帝を祀り、明末には先民鄭軍(鄭成功軍)食糧輸送官の陳一桂が海を渡り、さらには白礁慈済祖宮保生二大帝を迎えて来台し(開基保生二大帝とも呼ばれる)、台南将軍渓「頭前寮」に移住・開墾して根を下ろし、その初期に草寮を建て、二大帝を祀った。康熙40年(1701)に廟が建てられ、咸豊10年(1860)に修繕された。その際、廟の壁・塀・外壁・屋根の正稜・垂稜などの交趾陶装飾のため、交趾焼司阜「葉王」を招聘した。「葉王」は、200点余りの作品を創作した。民国69年(1980)に、56点の交趾陶が盗まれたが、失われた36点の葉王交趾陶作品がみつかり、民国92年(2003)に財団法人震旦文教基金会に無償で寄贈された。

再び盗まれないように、慈済宮には「葉王交趾陶文化館」が設置され、「葉王」の作品を保存・展示している。また交趾陶司阜林洸沂により、「葉王」作品の複製品が、元々飾られた場所に置かれた。

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